19 August 2009

家畜臭と過剰適応

日本に帰ってきて日本人と一緒にいたり、外国旅行中に日本人に会うに連れて日本人の特徴的なにおいに気づくようになった。微妙なもので適切に表現するのは難しいが、あのほのかにに甘ったるい肌のにおい。気の抜けるような緊張感のないにおい。
あれは家畜臭ではないかと思い立った。たとえるならば、ブロイラーや養豚のにおい。狭く閉じた空間に大量飼育されたにおい。管理された環境で育ったため、クリーンなんだけど、野性味の感じられないにおい。日本社会は日本人を家畜化してしまったのだ。政治家と呼ばれる人々がむやみやたらと使う安心して暮らせる日本というフレーズ。私には家畜が自分たちの飼育環境を向上させようと叫んでいるように聞こえる。日本はもはや十分に安全で便利なのに、もっともっとと言って社会(飼育舎)をハイテク化、システム化しようとする。安全で便利なのはある程度まではいいことなのだが、限度を超えると弊害ができてくるように思う。無条件の善など存在しないのだ。無条件に安全を求めても意味がないし、無条件に便利さを求めても意味がない。前提条件がはっきりしないためそうなった後のビジョンが見えない。これ以上安全・便利を突き詰めてみたところでそれは無駄なのだ。その逆に、わたしは行き過ぎた社会の安全・便利の弊害を指摘することができる。それは、日本人の海外においての適応能力のなさや変化や非常事態での弱さに見て取ることができる。進化論でいえば、ある環境において適応しすぎ、その環境において生存を効率化しすぎると、その者はその環境では非常にうまく生きていくことができるが、その環境の外に放り出されたり、環境が激変したときにうまく適応できないことが起こる、ということである。日本社会のガラパゴス化現象である。過剰適応には弊害があるのだ。
それでは私も家畜と同じではないかといえば、わたしは日本で生まれ、海外で育ったようなものだから、野性化した家畜とでも言えるだろう。

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